KinKiという奇跡に名前をつけたい
KinKiに名前を付けたいってわけじゃないです。KinKi KidsはKinKi Kidsでいいし、KANZAI BOYAでいいんです。(カンサイのサはZだよ!)いや、KinKi Kidsでいきましょう。
堂本剛という人と堂本光一という人が出会ったこと、長年の下積み期間を経て(しっかり実力を蓄えられて)満を持してデビューしたこと、日本の音楽界を導いてきた数々の音楽家の方々からメジャーデビュー前より寵愛を受けていたこと、そんな寵愛を受けるほどの身体的・精神的な素質を備えていたこと、あっやべえデビュー前後らへんのは無しでこんだけ話長くなるから20年とか書き切れんぞ。
いろいろ総括して、
この奇跡に名前をつけたい。
こう……宗教的な神聖な言葉で置き換えるのが赦されるならば、「受胎」のような。通常の受胎というだけですと一般的にも使えるけど、ここでは飛躍した意味で。
グループだったらメンバーの入れ替わりがあったり、とか
私は韓国アイドルが好きだったので、いろいろな理由で脱退があったり、とか。
1人だったら、1人に歌手人生は託されるし。
でも2人って、もう何にも代えられようがない。
ガキ大将とメガネくん(共に美少年)が出会って、アイドルになって、20年…?!しかも未だにかっこよくてかわいくて片方はゲストとカメラそっちのけで相方が視線の中心だし片方は男をもメロメロにして多分抱かれてる(と思わせておきながら抱かせてない)天然ふしぎちゃんって
こんな奇跡がこの世の中に他にあるか???!!!!
世界の年表に刻み付けたい。
そんな、尊いふたり。
2つの「ボク羽根」
私のKinKiストーリーはボク羽根からスタートしました。
(多分ほんとはフラワーあたりでも触れているのだが明確ではないしフラワー期のルックスを知らなかったので、ボク羽根ということにします)
ボク羽根といえばロシナンテ。そして、あの塔のPV。剛くんの前髪長めな黒髪。FFのクラウドか?!みたいな光一くんのド派手な金髪。こんなにまっきんきん(表現古)にしてるのに本人にチャラさとか一切なくて好感度一気にかっさらっていっちゃうじゃああの金髪時代のコンセプトは何やったんや…??もしかしたら剛くんの奇抜な髪型よりも、その辺無頓着な光一くんの金髪の方が謎深いんじゃ…?!(王子=金髪ってことからの金髪だったのでしょうが)どっちにしろあの非現実的な雰囲気をオタク的には激推しできる。
私光一くんのこときれいなオッサンだと思ってるからいじること多いと思うのですが愛ゆえなのでどうかご容赦ください…!!!
まあそんな感じでボク羽根。あのイントロを聴いて、PVの冒頭を観る度に、歌声が聞こえてくる前に、毎度胸がぎゅっとなるのを感じます。
けど、20代そこそこの男の子2人が歌うにはあまりに哀愁だだ漏れの曲調でありながら、歌詞をちゃんと知ってみると(いやタイトルからも判断できますが)本当は希望を歌った曲なんですよね。でも、あの曲がリリースされた当時の彼らが歌うと、まだその希望は掴みきれてはいない、道程の中を行く青年というかんじ。
まさに2人を表したような歌だからこそ、本当にこの曲を聴く度に、胸に迫るものがあります。
KinKiを好きになった2017年の年の暮れ、帰郷し、雲に覆われた黄昏時の空を見上げながらこの曲を聴いた時、思わず涙してしまいました。
数日前、作曲者である織田哲郎さんが歌う動画を視聴しました。
大変恐縮ながら、私はKinKiを機に織田さんを知り(KinKiきっかけで知った大御所の方々がとても多い…)音楽家として生命線である声帯を狂わされるような経験を乗り越えたという方ということで、そのような方の歌声をこのように聴けるということ、とても感慨深いものを感じられます。ボク羽根は2001年リリースで織田さんが事件に巻き込まれたのは前年だったので、事件のことを軸にお話しするのは非常に心苦しく思いますが、この歌を作曲したのが事件前後とすると、曲にかける想いも並々ならぬものだったと思います。
織田さんが歌う「ボク羽根」を聴いた時、見えた景色がKinKiとは全く異なるものでした。
KinKiはそもそもPVがあったので、2人のボク羽根を聴くと、PVの映像がリンクします。塔、海、夕刻の寒空の下。空を見つめて約束を交わすけど、もろくて、今にも壊れてしまいそうな繊細さ。
KinKiは「この曲が自分たちのターニングポイントとなった」と度々発言し、確かに音楽的にはそうだったのだと思いますが、まだ2人の硝子っぷりは引き継がれたまま。(もちろんその儚さが、当時の彼らの持ち味であり、魅力だと思います)
でも、織田さんの「ボク羽根」を聴いた時。
どこか遥か彼方の国にある、標高が高く、人気(ひとけ)のない山を登っている、そんな情景が浮かびました。
草木もほとんど生えず、岩だらけの山。目の前には大きな夕日。はっきりとした目的地は分からないけれど、歩みを一歩、一歩と踏み進めていく。
「嘘じゃないよ」
もしかしたらKinKiの歌うこのフレーズは、その時の自分たちは永久を誓いながらも、それは若気の至りで、結果的に見たら一過性の情熱から告げた、そんな若者の言葉を代言したようなものだったのかもしれません。KinKiがどうだという話ではなく、若いときに見える「永遠」とか「未来」なんてものは、そんな先のことでもないし、今の自分全てがあることが前提の話。でもそれは不可能なわけで。
だけど織田さんが歌うと、本当にその先の生涯、一緒にこの人と歩いていくような、固い絆を感じました。酸いも甘いも乗り越えてきた、少し乾いたがっちりとした手を、互いに握りしめ合うような。だってもう、自分の限界とか、そういうものを全部知り尽くし、悟った上で、こう語りかけてくれているのだからと。声を伸ばす範囲が限られてしまったであろうその歌声が、ますますその誓いを強固にしているようにも感じられます。
だけど若いときの「永遠」も、歳を重ねて結ぶ「約束」も、どちらもその一瞬や未来を輝かせるものなんじゃないか、と思います。この世にまたとない名曲だと、深く実感しました。
KinKiとファンの「空白期間」
こんなつぶやきに出会った。
若い方々の「KinKiと同じ時代に生まれたかった」という言葉をたまに見かける。
— hama (@chibi_1117) 2018年2月11日
一方で私は、彼らのデビューを応援しておきながら、同じ時代を生きていながら、その後空白期間を作ってしまった。
これもなかなかに悔やまれてならない。
だから、全力で応援💪#KinKiKids #DESTINY #TopazLove
わたしは最初読んだとき、てっきり「この方は、デビュー時とは途中から様相の変わった2人から一時期離れたことがあったのかな」と思ったのだが、ツイートを読み進めると、応援を一時中断したのは、その後のご自身の私生活がいっぱいいっぱいになったからだ、とのことだった。先走り、失礼いたしました。。
「悔やまれてならない」というのも「申し訳ないことをしてしまった」という意味かと当初思ったけれど、たぶん「個人的に惜しいことをしてしまった」ということかなと。
けど、その空白期間は、彼らにとってはある種「救い」だったのかもしれない。特に、剛くんは。
10代前半から、そしてメジャーデビューを果たしてからも、仕事に追われ続けた2人。
剛くんは、世間で認知されているアイドルの格好をした自分と、裸の自分のギャップを見過ごすことができず、長い間苦しむことになる。
当時の彼のLFを読んでも、30代になる前後くらいまで、その溝が埋められず葛藤の渦にいたことが見て取れる。
だけど彼は、きっとファンの方々との間にできた「空白期間」に、少しずつ、むしろ絶え間なく、自分に近い自分で、芸能界という独特な世界を生き抜いていく道を切り開いていったように思う。
ここで「少しずつ」と「絶え間なく」という一見両極端に感じられることばを共に使っているのは、年数としては長い時間をかけているが、彼の創作活動は、特にエンドリケリー全盛期時代はスパンを開けることなく連続して行われていたから。
私がKinKiというアイドルの存在を知ったのはたぶん小学校に上がる前、2001年くらいで、ボク羽根期の印象が強く残ってる。これは2人のどちらも。
そんなわけで、哀愁染みだしまくっている、なんだか陰りのあるイメージから彼らの知識が入っていった。後に剛くんが奇抜な髪をし、33分探偵に出たあたりで私のKinKiの記憶は止まっていたのである。(なお、光一くんの変化は全く記憶していない。光一くんが撮影される時の微動だにしないポーズ並みに、少しも変わっていないような気がしていた←)
そんな当時の自分自身の記憶や映像と、現在の彼らの様子を見てみると、明らかに剛くんは、目に自然な輝きを映すようになったんじゃないか、と感じるのだ。
デビュー前後の「アイドルとして振る舞う為に、精一杯に努力して光を取り込んだ瞳」ではなくて、そんな過去も、ぜんぶ自分のものとして取り込んで、幾度も涙した日々を乗り越えて、涙の先に辿り着いた泉の光を反射したような。
そんな、憂いなき、慈愛に満ちた瞳。
無理をかけた自分でアイドルを始めた彼だったけど、「おかえりなさい」と言いたくなる今の姿が不思議だ。20年近くかけて、きっと彼は、戻ってきたんじゃないか。
「全部だきしめて」
空白期間を越えて、すうっと元いた場所にゆっくりと、穏やかに回帰した。
受け止めるよ、あなたのすべて。
彼らのすべてを包むように、わたしはこれから愛していきたい。